2007/01/06

ブルーノ・クライスキー論

あけましておめでとう。何回も書きます。
今年の妙な暖かいお正月のせいで(明日夜からいきなり冬型とのことですが)スキー場が困っている、というニュースを見てなぜか「ブルーノ・クライスキー」という名前が頭に浮かんだ。「暗いスキー」なのか?ダジャレ?そんなおじさん街道をわき目も振らずに邁進中のスカムポットだが、クライスキーという人のことをちょっと思い返した。

私は幼少時'75年〜'82年までオーストリーという国に住んでいたのだけど、クライスキーはその時オーストリーの首相だった人('70年〜'83年)。
野党であったオーストリア社会党が与党となり、社会党初の、そしてユダヤ人初の首相となったクライスキーは、その強い社会主義思想から雇用や福祉に力を入れすぎたため赤字財政をもたらしてしまったものの、しかし当時産業の乏しかったオーストリーにあって生活水準や福祉の向上をもたらし愛された首相でもあった。
正直「外国人」であった私の家族からしてみれば少々不便な国政を行う首相であったものの、今帰国して考えると「そういえば穏やかで平和で格差もないよい国だったな」と思わせる。
日本は戦後ものを作る職人たち、そしてそれを売る商人たちが一生懸命がんばってくれたおかげで(何も作らず金を転がしているだけのものたちは不要だ)比較的格差の少ない穏やかな(「良い」とまでは書かないが)国になれたけど、産業もなく戦後再独立をはたしたオーストリーにあってああした生産的社会主義国家を形成できたのは赤字を差し引いてもよいことであったのではないだろうか(「すばらしい」とまでは書かないが)と思うわけで。

しかし残念ながらクライスキー退陣後7年3人の首相を経て、現在はオーストリア国民党と極右政党であるオーストリア自由党の連立政権によって社会党は野党になってしまった。
現在では精密機械産業工場の流入などで生産は増えたものの治安は低下し、近年では外国人の強制退去命令(ドイツ語を話せない外国人が対象)などあまりよいニュースを聞かない。
私の住んでいた頃のはてしなく穏やかなオーストリー、ウィーンの街に思いをはせるのだ。


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