ラベル 10 その他 otherz の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 10 その他 otherz の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023/03/14

終わりました納めました

私には嫌いなものが三つある…以下略
同タイトル同書き始め記事一覧はこちら 過去ブログ

終わった終わった。今年は昨年よりなんだか大変だったなぁ。
インボイス制度とやらもはじまるし、なんだか来年も大変そうです。
そろそろあきらめて外注するか。

まあとにかく終わったので少しだけゆっくりしてから仕事にもどります。

2022/03/11

終わりました納めました

私には嫌いなものが三つある…以下略
同タイトル同書き始め記事一覧は下記のとおり。

過去ブログ

新コロナウイルス云々言い出して三年目。一昨年と昨年は確定申告締め切りが1ヶ月延期されたりしましたが、今年は延期はなし。e-Taxが浸透したということでしょうか。

私も昨年からe-Taxしてますし、追加の書類も今年は求められなかったので、
ついに完全オンライン化!税務署に全くいかずに済む…かもしれません。
というのも、もし何か間違ってたり問題があれば呼び出されるのかもしれない…?
無事に申告が間違っておらずに通ることを祈るばかりです。

新コロナはいまだに続くよどこまでも。
もうそこに新コロナがあるのが当たり前の世界になったわけです。
ワクチンも三回打ったわけですしね。

それよりも申告書類に記載された家族が一名増えたことのほうが、
私にとってははるかに大ごとなのですが。

2020/11/08

鼻とゆめ(鼻手術顛末記)

学生の頃から鼻づまり気味でしたが、この十年ほどは
血混じりの鼻水と強烈な片頭痛に悩んでいました。
今年亡くなった父も蓄膿症を患っており、亡くなる遠因となったこともあり、思い切って診察に。

鼻茸(鼻ポリープ)
慢性副鼻腔炎
鼻中隔湾曲症

という診断結果。
これは薬よりも手術をしたほうがよい、ということでトントン拍子で手術の運びとなりました。

まずは手術の前週にCT撮影と血液検査、PCR検査を受けます。
正確な診断がここで出ました。やはり副鼻腔炎で膿がたまっていそうだということ、
そしてその原因が鼻茸だけでなく、鼻中隔という鼻の穴を左右に分けている軟骨の壁が
S字型に曲がってしまっているため通りが悪く、鼻づまりや副鼻腔炎、さらに肩こりや頭痛の
原因となっている可能性が高い、とのこと。

そうですか。
そうだったのですか。
それはぜひ手術しちゃってください。

ということで、

副鼻腔炎手術
鼻中隔矯正術
粘膜下下甲介骨切除術

というものをやってもらうことに。漢字が多い。
日帰り手術とその後の通い診察で対応できるということで、
入院のあまり好きではない私は迷わずゴーを出したのでした。

11月2日(月) 9:30頃手術開始。
点滴と心電図電極、血圧計とパルスオキシメーターと装着したら
おもむろに鼻の中に麻酔を打ちまくられます。
結構痛い。しかし3~4発目くらいから痛みは感じなくなってきます。効きが早いですね。
ただ麻酔が効くと同時に、猛烈に心臓の動悸が激しくなります。これは少し怖い。
まして私は血圧高いので緊張しますが、
「リラックスしてください」
そうでしょう。わかりますがんばります。

ここから
「口呼吸だけしてください」
という注文。それはそうでしょうわかりました。

しかし今のご時世は新コロナ。マスクをずらして鼻だけ出して手術するのですが、
口呼吸を激しくしていると口にマスクが貼りついて苦しい。
この後何度も「すいません口のマスクの間に間隔を作ってください…」とうめくことになります。

何かはじまりました。どうやら鼻の中を切ったりはさんだり削ったりしているような気配。
と、しばらくすると
「強い振動来ますよー」
と言われ、思い切り鼻を中心に頭に衝撃が。
なるほど。怖くて目はつぶっていましたが鼻にノミを入れてハンマーで叩いているのですね。
鼻の中の軟骨を削っているそうです。
「今削っているからね。まっすぐにできる軟骨はまっすぐにして戻すからね」
ほう。そういうものですか。痛くはないけどこの衝撃もなかなか怖い。
ノミが脳まで刺さる想像しかできません。
しかしひたすら深く深呼吸して心を落ち着けるほかないのです。

あっという間に…という感じではなく、局所麻酔なこともあって結構長く感じます。
ジッとしているのが苦手なので、正直飽きてきました。
しかし当たり前ですが、後戻りはできない。
「休憩したかったら言ってくださいね」
と言われてはいるものの、長引くのも辛いのでここは
「大丈夫です続けてください」
と答えました。実際には
「らいりょうどぅれすつつけれくらさい」
だった記憶がありますが。

ひたすら口呼吸を続けます。しかし完全な口呼吸というのは非常に難しいようです。
時々鼻から何かが喉に流れ込み、むせかえりそうになりますが、ただただ我慢。
口がカラカラに乾いてきてこれまた辛い。

「あと15分くらいで終わりますからね」
「あと10分くらいで終わりますよ」
「あと5分で終わりますからがんばって」
「もう終わりますよ」
と最後のほう励まされましたが、完全にすべて倍くらいかかっていたような気がします。
疲労や麻酔のせいなのか、それとも優しさゆえのサバ読みなのか。

最後に鼻の中に猛烈に何かを詰め込まれる気配が。
鼻の最奥部は麻酔が効いていないので、詰め物が奥に届くとなかなかの激痛が。
私はこんなに何かを強引に入れられたことがないので(注:鼻に)
少し開発されてしまったような気がします。

手術終了。
「これ見てください」
と言って見せられたのがまず削り取った鼻の軟骨。あー何か梅水晶みたいすね。
「そしてこれが右鼻の鼻茸ね」
ほう、とってみると小さいもんですね。
「で、左も鼻茸かと思ったらCTではわからなかったんだけど、こっちは腫瘍でした」
え?腫瘍。
「これね」
でけぇ!2cmくらいのグロい物体。そんなん頭ん中に入ってたんですか。
「悪性じゃなさそうだけど病理に出しときますね」
はい。よろしくお願いします。結果怖いですが…。


「では簡易ベッドで少し休んでください」
ということで移動してベッドで休憩。
ベッドとは言っても血が逆流してはいけないので椅子のようなベッドでした。
私には少し小さいので肩をすぼめて目を閉じます。
休む前に壁の時計を見たら11:00でした。1時間半くらいかかったんですかね。
口が乾きすぎて唇と歯がくっついてしまいました。水をもらいます。
その間にも目からじゃんじゃん涙が出ます。
鼻と目はつながっていると言いますがなるほどという感じ。
横に置いてあるティッシュで涙をぬぐうと、黒いものが。血かな。血ですかね。
鼻はまだ麻酔が効いているものの、目の奥と歯が痛い。衝撃のせいかしら。
30分くらい寝ているとだんだん麻酔が弱まってきて…
キター!鼻に激痛。イテテテイテェ。
痛みにはかなり耐性のあるほうですがこれは痛い。看護師さんに言って痛み止めをもらいます。
15分くらいして少し薬が少し効いてきてやっと落ち着いてきました。

そうするとまた声がかかり手術室に戻ります。
処置はうまくいったとのこと。お土産に切除した鼻茸と削った軟骨をいただきました。
これは捨ててもよいものか聞いたところ「捨てちゃってください」とのこと。そうですか。

この時点では鼻の奥から先まで何かが詰まっています。
血や血漿を吸いとったり化膿しないようにするものがパンパンに入っているようで、
鼻が全体的に膨らんでいるのがわかります。さらに鼻の穴の先端に血と鼻水止めの綿球を詰め、
その上からガーゼをテープでとめます。どうやらしばらくは血が出るよう。

2日後に詰めてるものを交換、4日後に詰めてるものを除去とのこと。
「少し休んでいきますか?」
と聞かれましたが、痛い上に麻酔まだほんのり残っているものの、
意識と首から下はしっかりしてたので帰ることに。
「帰ってゴロゴロします」
と答えて、お金払って病院を後にしました。
電車に乗って帰宅。

電車までは大丈夫でしたが、最後歩いたせいか家に着いたら左の鼻から出血しまくってました。
新しくもらったマスクにも染みてたので道ですれ違った人は怖かったかも。ごめんなさい。


そこからはひたすら安静に。
一日三回抗生物質を飲み、6時間に1回鎮痛剤を飲み、
綿球とガーゼが血や血漿で汚れたら交換する日々。

これまで知らなかったことがたくさんわかりました。

・両鼻がふさがっているとあまり難しい考え事ができない。
 =仕事はかなりきつい。

・口を開けて寝る習慣がないので、口呼吸しかできないと寝れない。
 =口を閉じてしまい呼吸が止まりびっくりして起きる。
 =口の中がカラカラになり喉と歯と舌の根が痛い
 =結果長くて30分~1時間程度の短い睡眠を繰り返すことになり疲れる。

・食事がまともに摂れなくなる。
 =咀嚼中に呼吸ができないので、冷たい食べ物でもハフハフ言いながら食べることに。
 =嚥下する際に鼻に負担がかかり痛みと出血。
 =大きな口をあけると鼻に負担がかかるので、基本小さく切るか汁もの。
 =いろいろ面倒になり小食になる。

・顔が洗えない。
 =体はぬるいシャワーならOKですが、少し寒くなってきたので結構辛い。
 =顔はあつしぼで拭くのみ。

・最初の2日くらいは結構出血する
 =綿休とガーゼの交換に追われる毎日。

なかなか大変です。出血は3日目くらいにはかなり弱まるのでよいですが、
それ以外は5日間ずっと続きます。特に5日うまく寝れないのがきついですね。
入院したほうがよかったのかとも思いましたが、
医者に聞いたところこれらはすべて入院しても同じなので後は好みとのこと。
私は病院よりはリラックスできる自宅でよかったかもしれません。


特に体調に大きな問題は出なかったので、予定通り3日目に詰め物の交換をしました。
実は今回の5日間で、この3日目の詰め物交換が一番痛かったです。
麻酔はもちろんなく(事前に痛み止めは飲んでいたものの)傷だらけの鼻から
大量の詰め物を取り出し、再び詰めるので、考えてみれば確かに痛い。
さすがの私もちょっと声が出てしまいました。
詰まってるから麻酔打てないしどうしようもないのはわかるんですけどね…。
詰め物は最初より少し減った感じ。パンパンに膨らんでた鼻も少し落ち着き気味です。

変わらず眠れず食べれない3~4日目を過ごし、5日目に詰め物の除去することに。
このころになると出血はほとんどなく、少し鼻水に血が混じる程度です。
詰め物を抜くときは…ああ、ちょっと痛い!でも一昨日より100倍マシ!
というわけでまる4日間私の鼻腔を守ってくれていた詰め物は去り、
ついに私に鼻呼吸が戻ってきたというわけです。

最初は怖くておっかなびっくりの鼻呼吸でしたが、病院を出るころには何とか普通に鼻呼吸。
しかしトイレに行ったら鼻血が少し出たのであわてて予備のコットンを鼻に詰め、
マスクを交換して一路帰宅しました。ビビった。


これが私の鼻手術の顛末記です。いかがですか。参考になりましたか。
費用は全部で15万円ほどです。結構かかりますね。そこそこいいベースが買えます。
ただ保険診療で高額医療費の対象となりますので
ご加入の健康保険やご収入にもよるでしょうが自己負担限度額を超えたら一部戻ってきます。
私は入院保険でカバーします。日帰り手術も対象の保険にしていてよかったですね。

現在術後、6日目となりました。
まだ少し入浴時など鼻血が出ることがありますが、
ダラダラと出るわけではなく鼻水に血が混じっている感じです。
鼻の粘膜が修復されていっているんだなぁという印象で、後は自分の体の回復力を信じるばかりです。
昨日本当に久々に熟睡できました。鼻呼吸さまさまですね。

鼻腔が真っ直ぐになったことによる効果はまだ分かりません。
とりあえず鼻通りがよくなって、鼻の奥が寒い、くらいでしょうか…。
また気がついたことがあればまとめてみたいと思います。

2020/07/31

父の葬儀

7月27日に2ヶ月入院していた実父が86歳で亡くなりました。
新コロナの影響もありなかなか見舞いにも行けない状態でしたが、
亡くなった今となっては「あれもこれもできたのではないか」と後悔が多い。
7月31日、横浜市青葉区にて葬儀を家族層という形で執り行いました。
北海道で生まれ満州チチハル市で育ち、命からがら満州から戻った後は
戦後の混乱期の中、漕艇というライフワークを見つけてそれとともに生きた父親。
自分の父とは思えないほどの寡黙ながら大変な善人でしたが、
血というのはすごいもので、その性格自体はかなり自分と似た点が多かったと
今になって思うのです。
戦前生まれの86歳とは思えない立派な骨でした。
晩年もボートを漕いでいたこともあり、やはり運動は大切なんだなと。
最期苦しかったでしょう。ゆっくり休んでほしい。

2020/04/16

終わりました納めました

私には嫌いなものが三つある。
おはぎが逆で、裏切りが悲しくて、あと納税ね。
10年以上同じタイトルでブログ書いてきてもうめんどくさくなってきて省略。
同タイトル同書き始め記事一覧は下記のとおり。

過去ブログ

今年は大変ですね。新コロナウイルスの影響で確定申告締切が3/16から4/16に延期され、
正直3月仕事が忙しすぎたのでありがたくも本日提出してきたというわけです。

例年と違って、中野区役所では提出は室内ではなく外のテントでやってました。
なるほどこれなら密になりにくい。すばらしい。
延期の効果か、最終日にもかかわらず13時頃でそれほど混んではいませんでした。6人くらい?

いずれにしろ喉に刺さった小骨のように気になってた確定申告が終わってよかった。
修正がないといいのだけど。
今年は年末調整手続きを忘れていた妻も同時に確定申告するという一幕もあったので記録しておこう。

生きてると、いろんなことが起こりますな。

2020/04/13

私が数学を好きになったキッカケ

私は特に数学が得意というわけではありません。
どちらかというと文系の人間なのですが、「数学」というもの自体は好きです。

好きになったキッカケとなった式がこちら。

1+2+4+8+16+32+... = -1

1の倍数を足し続けたものが -1 であるという式です。
正の整数を足し続けてるんだからマイナスになるなんてのはあり得ない気がするのですが、
証明式はこちら。

1+2+4+8+16+32+... = 1+2+4+8+16+32+64+...

1+2+4+8+16+32+... = 1+(2+4+8+16+32+64+...)

1+2+4+8+16+32+... = 1 + 2 × (1+2+4+8+16+32+...)

ここで式をスッキリするために

(1+2+4+8+16+32+...) を x とすると

x = 1 + 2x

両片はイコールなので、同数 (1 - x) をお互いに引いても同数

x - (1 - x) = 1 + 2x - (1 - x)

つまり

-1 = x

となるので x は

1+2+4+8+16+32+... = -1

というものです。
簡単な足し算引き算掛け算しか使ってないのに、この圧倒的な説得力。

んなアホな、と中学生ながら思った記憶がありますが、
これだけカッチリ証明されるとグゥの音も出ず、
なんとなく「数学スゲエな。」と思ってしまったものです。

2019/08/03

夢が進化した

私は寝るととてもよく夢をみて、その内容もよく覚えているタイプの人なのですが、
夢の中で革新的なことが起きたので記録しておきます。

たいてい夢のストーリーはアバンギャルドな展開をしていくもので、
あまり筋の通った物語になることはありません。
ところが、今日見た夢ではついに、
「伏線」
という概念が導入されたのです。

夢の相当前半でちょっとしたアクシデントが起きたのですが、
そのアクシデントは大したことには発展せずストーリー上いったんは
消えたことになったように思えたのですが、
何とかなり経ってから急に、そのアクシデントのために逮捕されるという展開に!

そこで目が覚めました。
人間の脳ってすごい、と思いつつ逮捕されかけた(夢)私は汗びっしょりでした。

↑バカが使うフリー素材

2019/03/30

年度末クライシス

毎年年度末というのはエンドクライアントの性質上忙しいのですが、
今年はそれにもましていろいろなことがありました。
生きてるだけで本当にいろいろなことが起こる。
なのでわざわざ自ずから「何か」を起こす人が実に「バカ」に見えるわけです。

本文とは何の関係もありません。ただ「ムスビうそをつけっ」は言いたい。

引用:「はだしのゲン」中沢啓治

2019/03/11

終わりました納めました

私には嫌いなものが三つある。
ひとつはおはぎ。逆だから。あんな友達がいたら困るから。
ひとつは裏切り。悲しいから。そんな友達がいたら泣けるから。
そしてもうひとつ、それは納税。

9年ぶりにちゃんとイントロを書いてみました。
同タイトル同書き始め記事一覧は下記のとおり。2008年~。

過去ブログ

しかしタイトルに「納めました」と書いてますが、以前と異なり
最近は引き落としで払っているので実はまだ納めてはいません。

もろもろ記述やら計算やら間違ってないといいのですが。
毎年この時期だけ使う単語の意味を思い出すので精一杯です。
さあ、私は年度末デスマーチの列に戻ります。

2018/06/25

憧れのハワイ航路

晴れた空、そよぐ風。
どうも、岡春夫です。

少し照れくさいのですが、多少は海外に足を延ばしたことのあるスカムポットですが
実はハワイに行ったことがありませんでした。

行きました。6月21日~6月24日。楽しかったです。
タバコやたらにたかられました。肉を焼いたものが結局おいしかった。
ホテルのプールとか海でも泳いだしポリネシアンショーも観て、花火も観れました。
ダイヤモンドヘッドにひいひい言いながら登ったと。

ダイヤモンドヘッドでは、UFOを撮影しました。本当です。
証拠写真を残しておきます。連射して写ってたのと写ってないやつ。










2018/03/15

終わりました納めました

私には嫌いなものが三つある。
はいはいおはぎと裏切りとあと納税ね。
同タイトル同書き始め記事一覧は下記のとおり。
過去ブログ

今年も終わりました確定申告。
昨年から中野税務署に来てますね。まだうちはe-Taxにしてません。
知らない間にICリーダはいらなくなったみたいだけど、
年に一回税務署まで来るってのがイベント感があるわけなんですがね。

締め切り日でしたので8時半ごろ来たら30人ほど並んでました。
とはいえ処理は早いので30分もかからず提出完了。
まあ今年も無事に終わったということで。

2017/10/04

小笠原渡航記5~6日目 9/30~10/1

さあ最終日。7時朝食。最後の朝食も実に美味しい。本当に感謝。
最終日の朝は残念ながら初めての雨。結構ざんざか降り。
しかし宿でだらだらと朝食の消化がてらゴロゴロしてたら止んだ。明るくなってきた。
ゴロゴロしている間に小笠原の歴史を学ぶ。結構近世まできちんと日本でなかったことに驚く。
荷物もまとめたしギリギリまで遊ぼう。
レンタカーを借りに行き、今日は島を一周することに。生協で水と帰りの酔い止めを追加購入。
まずは小笠原神社へ。本当はその向かいの扇浦に行ったのだけど、そこにあった神社と碑のほうが
気になったのでそちらへ。

ほうほう。これが小笠原新治碑か。1862年に 水野忠徳 小花作助
2年前には勝海舟と福沢諭吉とジョン万次郎を乗せてメリケンに行った咸臨丸
小笠原に来て領有権をはじめてきちんと諸外国にも伝えた際の石碑ですナ。
歴史を調べてみるとその187年前、1675年にも調査に来て領有宣言した石碑を
置いたようなのですけど、その碑がどこにあるのかはまったくわからない。
187年間いろんな国に勝手に捕鯨基地にされたりエゲレスに勝手に領有宣言されたり(1827年)して
何が何だか分からないところがまたカオスで面白い。
なにしろ最初の(1830年)定住者は日本人ではなく、欧米人やハワイ人だったというのだからなんとも複雑。
とりわけその中のリーダー、セボレー氏 はアメリカ人。
30年以上も日本人以外の人が住んでいるところに行って「ここは日本なのでよろしくね」と
説明して了承してもらった水野忠徳と小花作助が逆にすごく感じる。
小笠原神社に楽しく滞在させてもらったお礼をして立ち去った。

さらに車でウロウロする。雨で飛び出て車にひかれたカエルたちの死体を避けながら、
車で行ける道を進む。
初寝浦展望台というのがあったので車を止めて林道へ。旧日本軍の通信所跡とやらがありちょっと怖い。
林道を抜けるとそこは、展望台という名の崖。柵も何もないが、これこそ絶景だろう。
高所恐怖症の私は完全に足がすくんでしまったが、景色がキレイなのはよくわかる。
もどると首のない二ノ宮金次郎像があった。後で調べたら米兵が切って首を持って帰ったらしい。
その米兵の枕元には二宮尊徳が出てきたことでしょう。

JAXAの小笠原追跡所があった。ここはさすがには入れないので柵の外から妻がスパイする。
さらに進むと国立天文台VERA小笠原観測局が。VERAについては こちら をご覧ください。
とにかく国内4か所のアンテナを組み合わせると、直径2300キロメートルの望遠鏡と同じ性能が
出るんだそうな。これで銀河の地図を作るというわけで、実にしびれる。

そうこうしているうちにあっという間に父島一周。車で行けるところはこんなものか。
あとは自然ガイドさんとトレッキングするしかないわけだ。トレッキングね。疲れるやつね。
楽しそうだけど今回はいいです。また機会があれば…。

大村に戻ったら最後の昼飯。サワラのレアカツ定食美味しかった。私は鰆という魚がすこぶる好きだ。
農協で土産物など買ったらレンタカーを返して宿で最後のシャワー。
宿にお別れを告げ港まで送ってもらったらこれで小笠原滞在は終了だ。

粛々とおがさわら丸出航の時間を待つ。名残惜しいな。
おがさわら丸に乗って荷物を置いたらデッキに出てみる。
島総出でお見送りに来てくれている。こういうのは嬉しいね。手を振り振りおが丸は出航。悲しい。
と、たくさんのクルーザーがおが丸を追ってくる!みんな手を振っている。
次々と順にクルーザーの皆さんが海に飛び込んで手を振ってくれる。
みんな自分の乗ったクルーザーを探したりしていた。これはすばらしい。実に感動した。
かなりの外洋まで追っかけてきてくれ、このたびは感動的なフィナーレを迎えたのだった。

小笠原を離れると、あとは行き同様に夕寝してから夕陽を眺め、食堂で夕飯を食べたら夜寝して、
早朝日の出を眺めたら二度寝して、朝飯食べたら昼寝して。
館山を経由したへんですっかり目が覚めたのであとは酒飲んで竹芝到着までダラダラと過ごす。
24時間以上の船旅はどうなることかと心配していましたが、これだけ時間が長く、
しかしベッドさえあればとにかく体力回復の場として快適に過ごせるということがわかった。

小笠原から帰ってきて数日たつものの、正直仕事しつつも完全に父島ロスな状態で
まだボケている。当分ボケているかもしれない。またあそこに戻れるだろうか。戻りたい。
(おわり)







小笠原渡航記4日目 9/29

7時朝食。今日も美味しい。当然食べすぎる。
軽くゴロゴロしてからレンタカー屋へ。今日もノンパワステのミニキャブ。慣れた。
今日は特に予定を決めていないので適当に過ごしてみる。

生協で水を買い、隣の土産物屋で初めて水中カメラとやらも買ってみる。
買い物が終わったらキレイと噂の釣浜へ。近くまで車で行きジャングルを数分間かき分けると着いた。
ここも入り江になってるが目の前は兄島との間の外洋。出すぎると流されてしまうので気をつけよう。
準備できたら入水。
ほう。キレイなー。やはりサンゴがでかい。
アオウミガメ発見!私の姿を見てイヤだったのか外洋に去って行ってしまった。
でも後ろ姿はかわいい。入れ違いに1メートルほどのサメが来た。
この辺りのサメは攻撃しない限りはおとなしいと聞いていたのでじっと見ていたが、
やっぱりその姿はなかなか怖い。でも泳ぐ姿は美しかった。
浅瀬に泳いで行ったのでその後もちらちらと周りを気にしてしまう。
出たり入ったり休み休み泳いでいたらあっというまに2~3時間経ってた。腹が減った。

いったん大村に戻ってカレーを食べる。メカジキフライのカレー。妻はグリーンカレー。
運動してるときはホントにカレーが美味い。
食後に一服したら今度は境浦に行ってみた。
ここは濱江丸(ひんこうまる)という太平洋戦争時の輸送船が沈没している。
70年もそこにあり、シュノーケリングで数10メートル泳げば行けるとのことで楽しみにしてた。

さて上の駐車場に車を止めたら裏までおりる。結構おりるな。
おりるということは帰り登るのか。デブにはなかなかつらい作業だがやむをえない。
トイレと屋根付きのテラスがあった。準備していざ突撃。

あれ、あんまり透明じゃない。砂浜のせいか結構にごってる。砂浜なのであんまり魚もいない。
まあ沈没船まで行けば…行けば…行けば…。
風が浜に向かって吹いているので波のせいでなかなかつかない。時々顔を上げながら沈没船を目指す。
なかなか近づかないな。がんばろう。
ものすごく近づいた。さびた沈没船が海面から出てる。
感想はこうだ。「怖い」ひたすら怖い。当たり前だがでかいサビサビの艦橋部が近い。
結構迫力があってなかなか怖いのだ。潜ってみると…うっすらとこれまたでかい船体が見える。
透明度が低いのでうっすらとしか見えない。もっと近づけばよく見えるのだろうけど、
はっきり言って怖いのだ。人によっては全然怖くないのだろうけど、私は怖い。びびった。
ふと振り返ると妻がついてきていない。浜にもどっているようだ。トラブルかしら。
私も怖いので戻ることにしたが、これまたそれなりに遠い。今度は波に押されて帰るのでまだいいが
景色がきれいなわけではないので余計に遠く感じた。
シュノーケリングで沈没船だなんてなかなかないので非常に貴重な体験なのでしょうが、
完全絶対究極反戦派の私としては怖さしか感じず、びびってしまった。なんとか写真だけは撮れた。

ヘトヘトになったので枝サンゴがキレイと噂の製氷海岸に行ってみようと思ったが、
どこから車で入ったらいいのかわからなかったので断念。誰かに聞いておけばよかったね。
初日に行った宮の浜に再チャレンジ。もういちどイワシの群れをみたかった。

宮の浜は駐車場が近いのでありがたい。さて3度目の入水。
イワシいたいた。いつもいるのなキミたちは。初日より奥のほうまで攻める。
妻はエイをみつけたそうでうらやましい。サンゴはここもきれいででかい。
時間が遅めだったからか人気もなくゆうゆうと泳げた。
最後にサメになった気持ちでイワシの群れをかき分ける。迷惑だろうが楽しいんだすまない。

さすがに3か所で泳ぎ倒すと運動不足の中年の身にはこたえる。
長崎展望台までドライブして景色を見る。落ち着いてみるとこの島は本当にジャングルだ。
本土のように戦争中に木を刈りきってしまい間に合わせに杉を樹林しまくった森ではなく
もともとの木が好き勝手に育ち放題。大昔の日本もこんなだったろうなと思いつつ、
またここから落ちたら絶対に死ぬな、死体も見つかるまいな、などと考えつつ景観を愛でる。
車にガスを入れたら初日に引き続きウェザーステーション展望台へ。
父島北部の西端にあるここは一面海でまさに絶景。少し雲が多くて日没は見づらいものの、
夕焼けはただただ美しい。
レンタカーを返して18時夕食。夕食後少しダラダラしたらまた飲み屋に行って島ラムと亀煮。
ここの店の亀煮のほうが亀肉っぽくて私は好みだった。酔っぱらったのでふらふらと帰る。
(つづく)