この一週間というもの仮眠しかしてないような気がするものの、
それでもいつか終わる日を夢見て闘うスカムポットです。
本当に終わるのでしょうか。座りっぱなしで痛んだ尻がさらに痛い。
仕事をしているときのテレビは前から書いているとおり映画か競馬。
今日は1960年のジョージ・パル版「タイムマシン」を観ました。
言わずと知れたウェルズ原作の作品ですが、この作品が映画化されたのは二回。
2002年のサイモン・ウェルズ(HGウェルズの曾孫)版「タイムマシン」も観ているのでつい比較してしまう。まあ結論から言うと原作ファンからすればどちらもアレなのですが、しかし映画化というのは忠実にやればいいというものではないので、後は好みでしょうかね。
60年版は原作の持つ富裕層と労働層がそれぞれ20世紀の核戦争を機に80万年後にはイーロイ(地上担当白人型未来人=モーロックの餌)とモーロック(地下担当類人猿型未来人=支配者)に分かれて進化したことを主題に、冒険活劇風に…。
02年版は死んだ恋人を救うためにタイムマシンを完成させた主人公が、未来世界のイーロイ(地上担当東南アジア風未来人)とモーロック(地下担当類人猿型未来人)およびモーロックを支配する第三種族ウーバー(地下担当知能型運動不足未来人)との争いにまきこまれ、タイムマシンを爆破?しモーロックとウーバーを全滅させ、イーロイの女性と新世界に生きることを決意…。
どちらもラストが突っ込みたくなる。
60年版は無事に自分の時代に戻った主人公が3冊の本をもって未来に戻る。未来を自分の手で作るために。しかしその肝心のオチがあっさりしすぎていて消化不良。
もっとひどいのが02年版。イーロイの女性とよろしく…はともかく、もともとのタイムマシンの開発根拠であった恋人のことは途中からどうでもよくなってしまってる。そういうキャラで納得しろってことか。
どちらも何か釈然としない。原作読んでこの脚色?うーん。謎。
ちなみに02版で追加されたウーバーは「タイムマシン」の続編「タイムシップ」(ウェルズの作品ではないけれども)に登場するネボジプフェルへのオマージュなのかしら?
まああまり考えている暇はない。ので悩むのはまた今度にしよう。。
次は猿の惑星5部作(除くバートン版)の話でも書きます。読んでください。
もはやどちらが好きとかはない
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