のは、つげ義春の漫画なんだが、好きとは言えないまでも気になる。「ねじ式」や「必殺するめ固め」でもぜんぜんいいのだけど、日常の中でつい触れるたわいもない負の行為とそこから生まれる不安感に感情移入してしまうのかな?
別に作品評をしようと思ったのではなくて本当にこの夏のことを考えていたら単にこの題名を思い出しただけなんだけど^^
この夏はいろんなことがあったなと。病気も怪我もしてしまったし人を傷つけたり迷惑もかけたりして負も多かったけど、少しは人の力になれたり、はじめたことが少しずつ形になってきたり、そしてこれまで経験したことない気が遠くなるほど幸せなこともあった。芯がズレなければこれからどんどんよくなって行くはずだと信じるしかない。前を向くほか方法はない。
つげ義春の漫画で一番好きなのは「ヨシボーの犯罪」。こういう夢を私はよく見る。私はとにかく夢見が悪い。8割は確実に悪夢またはそれに近いものなのだけど、ぜんぜん現実味のない映画などよりも基本自分の記憶に根ざすこの悪夢というやつはとにかく怖い。
夢というのは短期記憶を長期記憶に保存しなおすための整理なんだそうだけど、よほど自分の長期記憶のあちこちに負の記憶がちりばめられてるのかななどとイヤな気分にもなったり。とはいえパソコンのように削除も最適化もできないので、あとはいかに負よりも正の記憶を増やすかしかないんだろうねぇ。
そういう正があることに今更気づいてるなんてろくなもんじゃないけど、知らずに終わらなかったことを素直に喜ぼかな。「考えてみりゃあもともと考えることなんかなかったのだからね」(「もっきり屋の少女」)
「ああ嬉しくなっちゃった」「よしみんなに教えてあげよう」(「ヨシボーの犯罪」)
頑張れチヨジ もりもり
しかし思わず間違ってつげ義春の後に徳南晴一郎の「人間時計」を読んでしまって変なんなっちゃったりもするのだ^^;そういうもんだ。
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